2014年で数えること8年目となる金華山黄金山神社への奉納祈願。そして震災からは3年目となる奉納。その様子をご紹介。
※本記事は、月刊誌『ロト・ナンバーズ「超」的中法 2014年5月号』発売当時のまま、掲載しています。
震災から3年目の奉納祈願、改めて思う、企画の意義とこれから
2014年3月1日、宮城県は牡鹿半島から船で約20分のところにある霊島・金華山に到着。海から衣服をすり抜けてくる冷風が、この地に来たという実感を与えてくれる。
思えば、あの未曾有の震災から、ほぼ3年。1年目は、道なき道を進んでの奉納、2年目はまだガレキが多く残るなかで……。そして3年目となった今回は、ガレキの撤去こそ終わっているものの、場所によっては、ほぼさら地という爪痕の深さを感じずにはいられないなかでの奉納となりました。
特に金華山においては、復興の2文字がまだまだ及ばない状況。それにもかかわらず、毎年、絵馬の奉納を快く受け入れてくる、その懐の深さに感謝するばかりです。
そして、読者のみなさんの思いを詰め込んだ絵馬。通常ならば、その絵馬を無事に奉納祈願する企画。それが震災後は、記事を紹介することで、少しでも震災を風化させない、微力ながらも復興へつながるお手伝いが何かができないか、と企画の主旨にも変化が。結果として、毎年紹介し続けることでしか、それはかないませんが、今回も不肖・石川、誠心誠意を込め、奉納祈願させていただきます。
2012年の鮎川港
2013年の鮎川港
2014年の鮎川港
震災1年目では、金華山へと向かう船が出る鮎川港は地盤沈下し、港のシンボルだった大きなアーチも海に飲まれていたが、3年目、土砂で埋め立てられた港部分にはコンクリートが。ただ、シンボルだったアーチは撤去されていた。
神聖な金華山で行われた1863枚の絵馬奉納……そして
神社に到着すると、毎年お世話になっている神職の大久保さんが、今年も笑顔で迎えてくれた。挨拶も早々に着替えをし、神殿へと足を進める。
ひんやりとした神殿内に入ると、気持ちが引き締まる。神棚に向かって、正座し、そのときを待った。その間、ただただ、絵馬1863枚に書かれた願い事を、神さまに無事に届けることだけを考えていた。
――ドン! ドン! ドン!
大きな太鼓の音が神殿内に響いた。奉納神事の始まりを告げる合図だ。
そして典儀により、奉納神事が始まることが神さまに伝えられる。
気持ちがさらに一段階引き締まる瞬間だ。それと見計らったかのように、大麻を振り払って身を清める。
次は祝詞奏上。斎主が神さまに向けて読み上げる祝詞には、絵馬1863枚の願い事をどうかお聞きください、という旨が書かれている。祝詞中は、神さまに向かって、低頭し、ひらすら祈った。
――神さま、どうか1863枚すべての絵馬の願いをお聞きください
――神さま、どうか震災で心身ともに傷ついた人たちが、少しでもその傷が癒えますように
――どうか、お願いします
気がつくと祝詞は終わっていた。
次に神さまに捧げるお神楽が始まる。ここ金華山黄金山神社では、「弥栄の舞」が奉納される。さぞや、神さまもご満悦であろうと想像できるほど、美しい舞だった。
神楽が終わると、「金幣の儀」に移る。これは、斎主によってかざされる金幣により、参拝者が神様の祝福を受けるというもの。ここでは編集長である私が祝福を受けるが、これにより1863枚すべての絵馬、つまり絵馬を書いた読者のみなさんに祝福が与えられたことになる。
最後に玉串奉典といって、榊を神前に供え、神さまに恭順を示す。これで、奉納神事が、滞りなく終了したことになる。二礼二拍手一礼し、神殿をあとにした。
大役をまっとうできた安堵と同時に、今回も無事に済んだことへの感謝の気持ちが湧き上がってくる。
帰り支度の折、一杯のお茶をごちそうになった。そこには、茶柱が立っていた。嘘のような話だが、このお茶を見た瞬間、神さまが願い事を聞き入れてくれたのだと確信できた……。
奉納後記
震災後、3年目となる奉納でした。思えば、震災2週間前に行った3年前の奉納。あのときは、よもやあのような震災に見舞われるなど、考えもできませんでした。しかし、起きてしまったことは事実。震災後の状況を1年ごとに自分の目で確認して思ったことは、まだまだ「復興」という言葉には程遠い、ということ。自分にできることは微々たることしかありませんが、「復興」はまだまだだということを忘れてはいけない、そう強く思った震災3年目の奉納でした。
神社への参道は大きく崩れたままだ。
(本誌編集長/石川修)
2015年の奉納の模様はこちら↓
※本記事は、月刊誌『ロト・ナンバーズ「超」的中法 2014年5月号』発売当時のまま、掲載しています。